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公開開始日:2026.06.13.
内容更新日:2026.06.13.
レイアウト更新日:2026.06.13.


 個人的な意見 part-4

[9] ネット・コラム「行為を切り取って一律に善悪を判断することには意味がない」 (26.06.13.)
 数十年前になるが、ある高校球技強豪校の1年を追ったドキュメント番組が放送になった。私はそれをビデオに撮り、今でも時々見ている。
 何年か前、ネット上にその放送の一部分を切り取って、「指導者の虐待を非難する」例として紹介されているのを見つけた。スポーツマンとして釈然としないものを感じた。
 最近、その放送ビデオ全編を知り合いのスポーツ関係者に見せた。「前後を見ずにその場面だけ切り出してうんぬん言うのはおかしい」「当然の指導」という感想だった。

 状況はこうだ。「ボールを取ったら速やかに攻める」、それを身上に全国制覇を続けているチームだ。それがある練習場面で選手が、取った自分が攻めることができる状況なのに、自分で攻めずに他の選手にボールを回してしまった。指導者は即座に立ち上がってその選手を呼び、胸ぐらを掴んで怒りつけた。そしてゴール下へ連れて行って同じ場面を作り、その場で攻めにいく動作を何度もさせた。放送の解説曰く、「この指導者は指導に動きが加わることが特徴。選手はその動きをすることで何を怒られたのかを自覚していく。」私も指導として当然だと思うし、ビデオを見せた人も同意見だった。その選手はその後全国大会に出て、立派に優勝している。私もそういう厳しい指導を受けたかったと思っている。
 それを、胸ぐらを掴んで揺さぶる場面だけを切り出してネットに挙げ、”虐待だ”と騒ぎ立てている。このような理解のない情報の拡散は、日本のスポーツをどんどん駄目にしてしまうだろう。私はこのような風潮に対して、何をどう考えて対抗するべきか悩んでいた。

 そんな時見つけたのが、上記のコラムだった。そのコラムはスポーツではなく、保育の世界で行われている「壁ぺったん」だ。「壁ぺったん」とは、保育所などで例えばトイレを順番待ちさせるために壁に背を付けて座る状態(保育だから、立って待てない場合も多いのだと思う)だそうだ。これは特に問題ではない。しかし、罰として(小中学生なら廊下に立たせるように)「壁ぺったん」させるとなると、虐待の意味合いを含んでくる。そこで問題となる。
 上記コラムでは、その両者(順番待ち「壁ぺったん」と罰としての「壁ぺったん」)を同一に扱うことの危険性を指摘している。世間は「壁ぺったん」を”悪”として禁止する方向へ動こうとしているように見えるが、本質を判断せず現象だけを禁止しても、本質は変わらず虐待はなくならない。保育士は必要な処置としての行為を禁止されては今後どう対応してよいか分からず、現場は混乱するだけだ。

 この事は、スポーツ指導の世界にも言える。先述の指導者の指導もそうだ。私の”何をどう考えるべきか”の悩みへの答えの一つを、このコラムが教えてくれた。「行為だけを切り取って判断すると、本質を見誤る。最も必要な行為はできなくなり、かつ最も必要な改善(虐待の防止)は達成されない。」
 一方で、指導者は日頃の指導の中でチームの方針(身上)を明確に示し、指導者が怒っても選手は何を怒られたか理解できるよう、下地をしっかり作っておかねばならない。
 スポーツの本質は、単に楽しむことではない。仲良く遊ぶことでもない。スポーツとは、試合のある世界である。一緒にやっている仲間、応援している人達、監督コーチ陣、皆が納得できなければ(自分だけ「正しいことをやっている」などと満足するようでは)スポーツとは言わない。結果の勝ち負けにかかわらず、それに向かって全員で努力し、試合で自分達の力を出し切る、そこに本質があると思う。この事について、父兄も含めてチーム全体で話し合っておく必要がある。

[10] 全中(全国中学校体育大会)の消滅~県大会の中止 (26.06.13.)
 先日、ある老人介護施設を見学する機会があった。そこは、放課後児童クラブのような形で(特に学校で勉強について行けていない)子供達を受け入れる施設も併設していて、親の迎えの時間的配慮や風呂に入いれるなど独自の運営を実現させていた。私は児童相談所との繋がりや連携はあるのか、説明に立っていた理事長に質問を投げかけてみたところ、即座に答えが返ってきたので、しっかり考えていなさるという印象を持つことができた。話を聞くと教育委員会に勤めたこともあって、学校関係にも介護関係にも幅広く顔が利くようで、さまざまな補助金制度を利用して進めていきたいとの事。補助金制度は制度が変われば利用できなくなる(日本はコロコロ制度が変わる)ので心配にはなったが、一つ気になることがあった。
 おそらく地域にとっていろいろな連携の中で中核になっていくであろうこの施設、補助金の関係でもし無くならざるを得なくなった時、それに頼ってきたさまざまな”網羅されたシステム”が突然動かなくなるのではないか。そして、全中がなくなると聞いて(全ての種目ではないらしいが、勝つためだけの練習を防止するためという話も聞いている)、それを目指して努力してきた全ての人達が希望を失うのではないか。現にバレーボールでも将来全中がなくなるということで県大会も中止にするような話も聞こえてきて、生徒達が試合という目標も外部との交流(自分達もあのようなバレーボールをしたいという刺激)という本来の目標も持てなくなってしまうのではないか。見学した施設と同じような心配を感じている。やめるのは簡単だ。でもそのために、今まで動いていたシステムが全て止まってしまってはかえって社会全体にとって損になってしまう。私の住む自治体では、3年で学校の部活を全て地域クラブに移行させるという話が突然出てきた。地域に受け皿はほとんど無いし、近年大会に出るためには指導者資格が必須である中で地域に有資格者もほとんどおらず、一般社会人が仕事を持つ環境下で資格を取る道筋も示されていない現状では、生徒達は試合に出られなくなってしまう。次なる準備はきちんとなされているのか、お上は容易に物事を断ち切ってはならないと思う。どうも今の日本社会、物事を一つの面でしか見ていないように感じる。

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