東日本大震災−野田村復興(2)

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内容更新日:2011.12.29.
レイアウト更新日:2024.10.08.

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東日本大震災−野田村復興(1)
東日本大震災−野田村復興(3)


 9月10日
 わさらびは8月いっぱい、お盆やお祭りのため練習は休み、9月に入って再開しました。しかし相変わらず人数は少なく、出る人も固定化する傾向があって、先行きが不安です。練習はバレーコート2コートの野田中学校体育館をソフトバレーと2分して行なっているのですが、若い人達はほとんどソフトバレーに流れてしまっている感じがします。別の曜日に一般6人制の皮バレーのクラブも活動しているのですが、そちらでも6人制皮バレーのネットを張りながら隣りでソフトバレーをやっている姿も時折見かけます。歳がいって体力が落ちてしまったからソフトバレーをするというなら理解できるけど、体力があるのに安易に「ラクだから」ソフトバレーをやるようになると体力はどんどん落ちてしまうんですよねェ。私も両方やっているからわかるんだけど、皮バレーが日程等でしばらくできなくてソフトバレーだけやってると、明らかにパワーが落ち、バレーのスケールも小さくなります。だから私の場合、あくまでも皮バレーで基本的な練習をやりながらソフトバレーをやるようにしています。
 ちなみに「ソフトバレーは皮バレーとは全く別物だ(感覚も技術も違う)」という意見をよく耳にしますが、私は同じでいいと考えています。私も最初は、ボールは大きいから落ちてくるのに時間がかかるのでアタックのジャンプは遅めに、ブロックのジャンプは早めに心掛けていたのですが、試合で本気になった時、同じでいいとわかったのです。皮バレーの試合経験者でソフトバレーの試合に出た人も、同様の印象を抱いているという話も聞きます。ボールは大きいからアタックのコントロールがし易いかと思われるかもしれませんが、皮バレー同様数ミリ感覚のボール・ヒットの正確さが必要です。違うと言えば、アンダーでのパスやレシーブは充分ボールを引きつけて行なわないとミスの率が高いという事。これはボールが大きい分、変化し易い事に起因しています。私がソフトバレーで気を使っているのはこの事くらいでしょうか。私の場合は皮バレーを基本に置いていますので、皮バレーで通用しない技術は使いません。例えば、ソフトバレーではサーブでわずかなスライド回転をかけるとボールは沈むので点取りサーブに利用できますが、皮バレーでは沈まないので逆にチャンスボールになってしまいます。アタックでも同様に、ソフトバレーでスピードを抑えて逆回転をかけると沈みますが、皮バレーではそうはいきません。ソフトバレーのみの技術で得意になってしまうと、皮バレーの世界に戻れなくなってしまう、それは、体力を失う事につながる、だから皮バレーでも共通の技術を私は使っています。ソフトバレーではアタックで中途半端にドライブ回転をかけると浮き上がってしまいますが、皮バレー同様しっかりボールを捉えて打ち抜けば沈みます。この事がわかっていない人は多いようですね。
 10月23日 松園クラブ・ソフトバレー大会に出場。

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 私のブロックが決まった瞬間。
 盛岡地区の地域総合型スポーツクラブである松園クラブの大会に、被災地チームが招待されました。野田ソフトバレークラブとして野田村を代表して参加しました。結果は予選リーグ1勝2敗でトーナメントには上がれませんでしたが、野田村のバレーボール界を創ってきた大ベテラン2人と組んで(30年もお付き合いしてるはずなのに、初めて組んだのです)簡単には負けない意地を発揮してまいりました。
 10月29日 わさらび、震災後初の大会、岩銀カップ出場。

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 肩の痛みを押して出たキャプテンのアタックが決まる。
 大会本部からも被災したチームも是非出てほしいとの要望もあって、メンバーが集まらない中、他のチームから人を借りてでもまず出ようと、練習も木・土の週2回に増やしました。村内からも、しばらくバレーから離れていた人も含めて2人、久慈の”いずみ”チームから3人借りることになり、6人でシートレシーブ練習ができる状態になりました。実は去年私がコーチを受け持った時から実行してきた事なのですが、9人制とは言え6人でシートレシーブをやる時は6人制の動き方でやるようにしているのです。これは、9人制のママさんバレーを見ているとややもすると「誰かが手を出して拾えればいい」という感覚に陥ってしまいがちなのですが、6人制のレシーブは一人一人の役割分担がはっきりしている、自分がコートの中で何をすべきかをはっきり認識することでチームのレベルを上げたいという狙いがあったのです。特にポジショニングについては口うるさく言ってきたのですが、6人制の経験のない人達にとってはなかなか呑み込めない部分もあってかまだまだ完成度は低く、それでも震災前の2つの大会で少しづつ結果は出ていました。震災後も引き続き同様の考えで練習は続けてきましたが、これはチーム全体で身に付けなければならない事で今一部の人達ができるようになったからといってチームとして結果に結びつけることはできないのです。チーム全員が練習に出てこれるようになって初めて再スタートということになるのですが、とにかく大会に出ようと人を借りてきて、では練習はどうするか。コーチとしては、試合に出る以上は目標は持ってもらいたい。そこで、借りられてきた人達にも6人シートの時は6人制の動きで行なう事と、その意味を説明して、わさらび方針に沿って練習をしてもらうことにしました。特に久慈地区は6人制レシーブシステムを理解している指導者が少なく、中高生の大会を見ていても奇妙なレシーブフォーメーションが定着してしまっているようなので、6人制レシーブの基本を広めるためにも一つのチャンスだと思ったのです。
 さて、大会のほうですが、私の目から見ると開会式には約65チームと体育館一杯にチームが並んで「この時期にこんなに沢山のチームが」と思ったのですが、大会側から見ると例年に比べてかなり少なかったそうです。被災チーム(被災された方のいるチーム)には支援金が渡されるということで、代表者だけのチームも含めて11チームが来ていて、うち4チームが試合に出場しました。久慈地区からは久慈市の”マリンローズ”と我等野田村”わさらび”が試合に出ましたが、支援金と共に贈られた5個のボール、4個は新品で「野田わさらび」ときれいに書かれ、1個は兵庫と書かれていました。真新しいボールも嬉しいですが、使い込んで皆さんの想いが染み付いた大切なボールを贈っていただいた事がとても嬉しく思いました。ありがとう!!
 結果は…。相手は盛岡の若手チーム。わさらびは借りてきたエースアタッカーが風邪で来られずアタッカー不在状態だったのですが、試合前の打ち合わせで「被災チームだからということでなく、皆と同じ土俵で戦うこと」、「負けても最後まで戦い抜くこと」を指示して送り出しました。(ママさんバレーの大会では男性はコート・フロアには入れないので、試合中に指示はできないのです)結果は負けましたが、寄せ集めチームで最後まで気を抜かずによく戦ったと思います。野田のバレーの小中高一般全てに共通した大きな欠陥の一つは、「最後に崩れる」事。従って昨年のコーチ就任から「同じ負けるにしても、気の抜けた負け方をするな」と負け方にこだわってきたのですが、「負けてもシメはしっかり行なう」という事はできるようになってきたと感じています。(コーチ就任から3試合、まだ勝ってないから偉そうな事は言えないか…)
 野田に帰って”ご苦労さん会”。監督、宴会部長の男性陣も集まり、ビデオで報告会をしました。”いずみ”メンバーからもわさらびの練習に参加したいという要望が出て、快く受けることになりました。今この時期、いろいろな人達がわさらびに来てお互いに支え合うバレーボールができることは、大変喜ばしい事だと思います。
 11月13日 わさらび、久慈の大会に出場。
 対 種市フェニックス 敗退

   1 ( 13 - 21 / 21 - 13 / 17 - 21 ) 2

 相変わらずのメンバー不足で、岩銀カップとほぼ同じメンバーで出場。この大会は私は用があって見ることはできませんでしたが、借りられて出た人達も楽しそうだったとの報告を受けました。
 12月15日 わさらび、今年最後の練習。
 大会後、練習日を木曜日の週1回にしたものの人は集まらず、この日をもって今年の練習を終了することになりました。来年は、1月14日の新年会を出発点に再始動です。
 今年を総括すると、震災によってメンバー個人個人の生活が大きく変わってしまって、特に若い人達にバレーボールをする余裕がなくなってしまった。未だにその状況は変わっていない。そのため、外部から人を頼んで練習の場やチームを維持しているが、逆に外部との交流を盛んにするチャンスにもなっている。というところでしょうか。
 大変な時期でバレーボールどころではないという声が内部からも聞かれますが、長年バレーボールをやっている者にとってはバレーボールがあるから生活や人生が成り立っているところがあって、「バレーボール」は「生活」なんだ、「バレーボールができる環境を取り戻す」ことが「生活を取り戻す」、即ち「復興」なんだ、と思って欲しいと願っております。