三世緒音

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津軽三味線の祖「梅田 豊月(うめた ほうげつ)」

梅田豊月42歳厄年(家族談)本名:鈴木(すずき) 豊五郎(とよごろう)
1885年(明治18年)4月14日この地 梅田(うめた)に生まれる。
金木(かなぎ)の「仁(に)太坊(たぼう)」直弟子(じきでし)「長作坊(ちょうさくぼう)」に師事し、その名を「梅田豊月」とし三味線界にて大活躍した。
自分の指が届かない太棹(ふとざお)でも、まるで地を這う龍の如く演奏する技は他を圧倒した。曲の前に「津軽…」がはいる様になったのは「豊月氏」の時代からだと云われている。彼の孫弟子には「高橋竹山氏」・「木田林松栄氏」がいる。
竹山氏曰く「三味線は、たたくもんでねぇ弾くもんだ」に対し後者木田(きだ)氏は「津軽三味線はたたくもんだ」と相対する弟子の良さを尊重した「豊月氏」の指導力に感服致します。

「豊月氏」の生涯後半は浪曲に転向したが津軽三味線の技はそこでも発揮され、どこの会場でも大絶賛を浴びたと云われます。
「津軽三味線さ上手も下手もねぇ、行く先々の水っこさ、合わねば、まいねぇ」まさにこの言葉通りの生き様と現津軽三味線界に与えた彼の功績は偉大なものであります。

1952年(昭和27年)1月30日享年68歳
彼の御霊は孫「鈴木隆氏…五所川原市原子・鈴木理容店店主」が後継者として菩提を弔っています。

2010年8月20日  葛西青龍 著